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2009-05-03古語は不完全である・然し趣が深い

古語は不完全である・然し趣が深い

或日山形の一書肆でふと新村博士校註の「文祿舊譯、天草本伊曾保物語」を見付けて之を買ひ求め、歸りの汽車で讀み出すとまことに面白く、つい仙臺に著く間に讀んでしまつた。此本の事を噂に聞いたは久しいが手にしたは初めてであつた。{向}{きやう}{後}{こう}何人が{伊曾保}{いそつぷ}を譯せようとも、これほどには行くまいと思はれた。この古風の{語}{ことば}はいまの小賢しげな{語}{ことば}よりも遙かに伊曾保に適してゐたせゐもあらう。

伊曾保の説く所には、一體何が善くて何が惡いのか分らないことがある。狐が善いのか羊が善いのか、獅子の方が善いのか、狼の方が善いのか。分らないながら、話は胸に應へる。その味はちやうど、支那の歴史、たとへば史記などを讀む場合に似てゐる。蘇秦が善いのか、張儀が善いのか、武安侯田蚡{でんふん}善きか、魏其侯{竇嬰}{とうえい}惡しきか。八犬傳などとは違ひ、善玉惡玉がはつきりして居なくて判斷には迷ふが、讀過してははあとうなづく所があつて、何か此身が賢くなつたやうな氣がするところ伊曾保の話を聽いた時の如くである。孰れも其趣茫洋として遙かである。確か此等の作者は馬琴、近松などより賢かつたに相違ない。日本の古典、日本の現代作家を渉獵しても中々これだけの智慧を示してくれるものはない。

或處でつまらぬ演説をした時に、わたくしは「道徳は古學の研究から出でるものである」と斷言した。オオギユスト・コント日く「{人道}{ユマニテエ}は生者よりも寧ろ死者によりて保たる」。わたくしも亦その然るのを信ずるものである。一歩讓つても「智慧は古書の體讀によつて顯示せられる」といふに間違はなからう。

現代の作家は日本と言はず、歐羅巴といはず、徳、または智の材料をば提供する。然し徳、智そのものを傳へるものはない。近ごろ評判である故に、ジヨルジユ・ヂユアメルを讀んでゐるが、彼を或人の如く睿智と呼ぶのは躊躇せざるを得ぬ。近頃の作家ではやはり森鴎外、アナトオル・フランスが爽快なる智慧の光を投げ興へる。それは希拉或は印支の古學に達して居た故であらう。同じく國民詩人といはるるものでも、ゲルハルト・ハウプトマンなどではさうは行かない。若し夫れ徳田秋聲、正宗白鳥、久米正雄等に至つては、現代思潮の荒苑に雜草を蒐集する本草家のどうらんを富ますばかりである。ここにどくだみが咲いてゐる。かしこにみぞそばが開いてゐる。

プラトン乃至ヰルジイルを原書でえ讀まざる我々には、せめて支那の古典を原文に就いて讀むといふ恩寵が殘されてゐる。これ我々の精神の糧である。エスプリの源である。之れをしも我々からもぎ取るとすると、その代りに何が與へられるか。現代外國語か、自然科學か。はたまたラヂオか、シネマか、スポルツか。


本年の十月號であつたと思ふ。學士會月報に大連の加藤蕾二さんといふ人が「漢字を貴ぶ心持」といふ一文を寄せて痛快に漢字の不便不文明を罵つてゐる。實は我々もその事をば痛感してゐる。物を書かうといふ時にはそばに二三册の字引を置かなければならぬ。それかと云つて今直に漢字から辭し去つてしまふわけには行かない。

今は十幾年かの昔になるが、獨逸原文の美術史一册を翻譯したことがある。その時に我々の普通用ひてゐる言葉の頗る貧弱であることを嘆じた。良いこと、美しいこと、光り輝くことなどを現はすのは西洋には幾いろも言ひ廻しがあつて、それぞれ少しづつその心持を殊にして居る。然し我々が今使ふ言葉には實に僅しか表現の法がない。それで我々は普通往々外國語を雜へて會話する。外國語から翻譯する場合にはその外國語の雜じるのを厭ふ傾向があつて、之を傳ふべき言葉を搜し出すのに苦勞するのである。槩して言ふに心理的な事象を表明する語彙は取り分け日本語に於いて貧弱である。わたくしはそれ故當時かなり多くの漢宇漢語を借りる必要に迫られた。

而して加藤蕾二氏がかくまで痛快な一論を草することの出來たのも、同氏に漢字、漢學の知識が豐富にあつたからである。それは後に述ぶる、佛國政治家エリオオ氏の場合も同樣であるが、自家の熟く通曉してゐるもののうちにその非、その弱點を檢することほど容易にして且つ痛快なるはない。それ故昔の伴天連僧もまた出定笑語の著者も、佛教の宗旨を攻撃する爲めに、日本佛法の各宗を研究したものである。ロシア人、フランス人、ドイツ人の缺點を擧げてその急所を衝く事は我々にはなかなかむづかしいが、お互日本人の弱所をえぐり出すことはさう困難ではない。そして缺點の半面には必ず長所がある。我々が日本人の缺點を知つたところで、その長所まで捨て、自ら日本人たるを棄てようとするものはあるまい。我々の思想的實行的生活のうちには、支那學に由來する部分が多大に有り、亦その長所となつてゐる。この長所を保存するには、隨時その淵源を正し、之を善解する必要がある。

例へば人にして見ても頼朝の如き、信長の如き、その他雪舟の如き、芭蕉の如き、明治以來幾多の新研究が施されて、その解釋はしばしばそれ以前の解釋より進歩してゐる。多分更に一層人道的なものになつて居るとも謂へよう。明日の人道は是等の人々を更に好く解釋するであらう。アナトオル・フランス曰く「吾人は現時イリアド或は神曲の一行をもその初め考へられたとほりの意味で解しはしない。生きるといふことは變化するといふことである。而して記述せられたる我等が思想の來世の生活も亦此法則から脱却することは出來ない。」然し同時に我々は良き古典の人の代と共に更生するを見るのである。

支那日本の古典も今や新しき吟味を受くべき時機に達したことは確である。而してそれは勿論原物原文に就いて爲されなければならぬ。少くとも是等の事を完成する以前に我々は滋味多く、今も亦現に之を攝取しつつある支那の古典を棄て去ることは出來ない。新しい家がまだ竣工しないのにどうして舊屋の壁を毀つことが出來ようぞ。

ロオマ字論者も多くの首肯すべき理由を有してゐる。彼等が漢字習得の不便を云々し、ロオマ宇の能率を云々する深奧所には、往々彼等の自覺せざる理想が隱れてゐる。即ち我々は寧ろ支那古學の影響から脱して、歐羅巴現代の精神を採らう。牛を馬に換へようといふ傾向がある。漢學が我々の思想と結合し、我々が之を肯定してゐるならば、{語}{ことば}の横書は不便である。漢語を捨て歐羅巴語を納れる場合には縱書は不便である。日本現代の語彙の貧弱なることは既に言つた。我々がロオマ字を用ひるに及べば、浸々として外國語は日本語のうちに入り來る。現代女の斷髮の比ではなからう。フアンといひデイといひ、必ずしも要としない外國語が現在既に多く新聞紙には現はれてゐる。

我々の祖先は過去に於て既に外國語を入れた。現代に及び漢唐を英獨にするも不可なからう。然し英獨の淵源に遡ることは必ず之を怠るであらうから、やがて銀座といはず九州北海道といはず、日本全國の官衙、會社は深みのない紳士を以て滿されるに至るであらう。

佛國エリオオは社會主義者にして且つ希臘學者である。千九百二十二年某日その國の議會に演説して、各國民相協同する爲めには人々現代外國語を習得し之に通曉するに若くはないと言つた。即ち當時の文部大臣レオン・ベラアルが希拉の課目を中學の必修たるものに復せようといふに反對したのである。彼は決して希臘古典をば謗らなかつた。然し拉丁文明に對しては忌揮なき酷評を加へた。日く拉丁語は已に甚だ貧弱なる機械である。その語尾はやかましく、その文章の構成は短く、冠詞は略せられ、その語彙は乏しい。拉丁人は文藝の天才に非ず、唯希臘文明の扶助に由つて辛うじて之を得た。光と藝術との神たるアポロンは拉丁神話にはない。その語の不完全なる一例としてここにOtiumがある。是れ精神上の努力を現はす語にして同時に閑暇の義である。以てその一般を知るに足らう云々。

後日レオン・ドオデエ亦同じ問題に就いて論じて曰く「……予は一日父と共にシヤルコオ教授を訪問した。……教授は手に一小册を持つて居られた。父その書を問ふに、予が臨牀講義に甚だ必要なるものなりと答へた。見れば是れオラス(ホラチウス)の詩集であつたのである。能辯と智慧との合一を教授が此書に求められたのも亦理の存するところである云々。」

エリオオ之を駁して曰く「それは精神の休息ならむ。」

文部大臣すかさず「Otium !」と叫んだ。

ドオデエ氏なほ語を續けて曰く「然り同時に休息である。然し予は「les humanités」なくして能く人間修養の目的を達し得るとは考へることが出來ない。而して現代外國語の習得だけではこのl'humanismeの代償となすに足りないと思ふのである云々。」

佛蘭西の事情と日本の現代とを同一視することは出來ない。が然し佛典漢籍を讀まず、外國語はゲエテ、シエクスピアまでだに遡らず、唯凡庸翻譯家を通じてトルストイを知り、ロマン・ロランを學ぶ現代の大學生が何處に導かれるかは容易に考ふることを得るのである。

現代の政治、東京の建築等はかくの如き「文化」の發現である。

或學者は史記の「禁不得祠」を浮屠(佛陀)の祠を禁ずと讀んだ。又他の學者は之を笑つた。古への語は實にかくの如く不完全である。豈獨りオチウムのみならんやである。

然しそれにも拘らず、趣が深いと言ひたい。

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舩木直人(funaoto@hat.hi-ho.ne.jp)