テキスト置場

最近の見出し
主な見出し
假名遣の歴史
カテゴリー
 | 

2009-04-28假名遣の歴史 附録一 文部省の假名遣改定案を論ず

第九 長音符の不合理

今、假名遣改定案を見るに、國語假名遣の部にありてその長音をあらはす方法を見るに、ア列長音には「ア」を長音符とし、イ列長音には「イ」を長音符とし、ウ列長音には「ウ」を長音符としたるは一貫の條理を認め得べし。然るにエ列長音には「イ」をその長音符とし、オ列長音には「ウ」をその長音符とせること理由如何。これ決して表音的といふことを得ざるなり。そのかくするに到りし理由は恐らくは字音の未尾は「イ」「ウ」を用ゐるによりてこれに準據せりといふにあるべし。然れどもこれ決して首肯すべからず。

字音の末尾に「イ」「ウ」を用ゐるは決してこれが長音符たるの故にあらず。たとへば、

英(エイ)計(ケイ)制(セイ)定(テイ)寧(ネイ)平(ヘイ)命(メイ)例(レイ)衛(ヱイ)

の如きは、今日の發音にては、いづれもエ、ケ、セ、テ、ネ、へ、メ、レ、ヱの長呼音の如くなれるもあれば、いかにもその「イ」がエ列長音の長音符たる姿を呈せりといふべし。然れども、これらは本來その假名の示すまゝに、エ列母音の次に「イ」音の來りたるさまに發音せられしものにして、決して「イ」が長音符の用をなしたりしにあらざるなり。今日にては「イ」がエの長音符の如く見ゆることありといへども、これ「エイ」「ケイ」等の字面が發音上「エー」「ケー」等とかはれるものにして、これも亦假名と發音との不一致を來したりし結果なり。この故にエ列の長音符に「イ」を用ゐるは字音の記載法に傚ふといふまでの事にして學理上の根據あるにあらざるなり。

次にオ列長音なる字音の末尾に「ウ」字を用ゐるも亦表音主義より見れば、不合理たるなり。字音の「ウ」のオ列長音の長音符の如く見ゆるものには、二樣の別あり。一はア列音の下に「ウ」のつけるものにして、

鸚(アウ)高(カウ)草(サウ)當(タウ)脳(ナウ)方(ハウ)盲(マウ)陽(ヤウ)郎(ラウ)王(ワウ)

の如き文字なり。これらは本來は假名の示す如く「アウ」「カウ」乃至「ラウ」「ワウ」等の如く發音せられしものなるが、慣用久しくしていつしか上の「ア」韻と下の「ウ」音とが相影響し融合してオ列の長音の如くになりしまでのものにして、「ウ」がオ列長音たることを示す作用をなせるものにあらず。これらの例を以て「ウ」にオの長音符たる資格ありとするは迷へるものなり。又オ列の音に「ウ」を添へたる字音あり。すなはち

應(オウ)公(コウ)送(ソウ)東(トウ)農(ノウ)奉(ホウ)蒙(モウ)用(ヨウ)樓(ロウ)翁(ヲウ)

の如き文字これなり。これらも本來は假名の示せる如くオ列の音の下に「ウ」を添へて正しく「ウ」を發音せしものにして、決してオ列の長音にてはあらざりしなるは、字音の歴史を知るものゝ誰も認むる所なり。それが慣用久しきにつれて、オ列の長音の如くなりしものにして、これにも「ウ」にオの長音たることを示す要素は無き筈なり。この故に「エイ」「ケイ」を「エー」「ケー」の如く發音するも、「アウ」「カウ」「オウ」「コウ」を「オー」「コー」の如く發音するも、いづれも一樣の事情によるものなり。その事情とは本來假名にて示す如くに發音せられしものが、慣用久しき間に一長音の如くなりしにて、これまた假名遣と發音との乖離に基づくものなり。然るに世人往々この理を忘れて「イ」をエ音の長音符「ウ」をオ音の長音符たる如く思へるは、これ即ち論者の所謂歴史的假名遣にあらずして何ぞや。實にこれを表音主義によりてあらはさむとし、而してア列の長音に「ア」を用ゐイ列の長音に「イ」を用ゐ、ウ列の長音に「ウ」を用ゐる主義を以て推さば、エ列長音には「エ」を用ゐ、オ列長音には「オ」を用ゐざるべからざるは理の當然なり。然るにこれを改めむとせずして以て表音主義なりと称せむとすとも誰かこれに心服せむや。字音の「イ」「ウ」を改むることなきは古來の慣例を重んじたりといはゞいはるべきが、國語にこれを及ぼせるに至りては吾人これを評する辭なきに苦しむものなり。

字音に於いてその表音主義をば末尾の「イ」「ウ」の形式に及ぼすことなき穩當の主義をとれるものならば、國語に於いても用言の活用などに變更を施さゞるを可とせずや。然るに改定案はこれらには顧慮すること無し。これを以て論ずれば字音には寛にして國語には酷なりといふ譏を免れず。よし其れらの點は姑く論ぜずとしても、その字音の形式を國語の假名遣に應用するに至りては、自己の論理を不徹底ならしむるのみならず、國語を以て字音の奴隷たらしむるものにあらずして何ぞや。

加之、上の如く「イ」「ウ」を「エ」「オ」の長音符として用ゐることはこれ一字一音の所謂表音主義に背馳するものにあらずや。同じ「イ」にして一方に於いては文字のまゝに發音し、他方に於いて「エ」の長音を示し、同じ「ウ」にして一方に於いては文字のまゝに發音し、他方に於いて「オ」の長音を示すこと、これ一字にして二樣の音を表明するものにあらずして何ぞや。かくの如きはその表音主義の下に於いても一貫の條理なきものといはるべきにあらずや。

要するに國語調査會のこの長音符に關する點は不合理自家撞著等種々の弱點を有するものたること明かなりとす。

 | 

2004 | 08 | 09 | 10 |
2009 | 03 | 04 | 05 |
2099 | 01 |

正字正かなバナー

舩木直人(funaoto@hat.hi-ho.ne.jp)