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假名遣の歴史
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2009-04-24假名遣の歴史 第三章

第三章 復古假名遣

契沖は近世國語學の大先達にして、萬葉研究の大家たることは人の熟知する所なるが、實に、嚴密なる意味にてのわが國語の學術的研究は契沖が古語を學術的に討究せしよりはじまるものといふべく、而してその國語研究史上重きをなすものは實にこの假名遣の研究にして、それに關する書は和字正濫鈔、倭字正濫通妨抄、和字正濫要略の三なり。

和字正濫鈔は從來の假名の遣ひ方の濫りなるを正すを目的として著したるものにして、元祿六年二月廿一日の序あり。版本は五册に分れ、元祿八年九月に京都の書林中河喜兵衞、江戸の書林中河五郎兵衞の出版せしをはじめとす。この本は美濃版なり。次いでその舊版を求めて元文四年五月に大坂の柏原屋澁川清右衞門の出版せるあり。更に轉じて文政十一年冬、大坂の加賀屋善藏の出版せるあり。これらはいづれも半紙本なり。

この書の卷一は序説として本書の組織よりして音韻文字の一般論をなし、卷二より卷五の初までは假名遣を一々に説けるものにして主として日本紀、古事記、和名抄、萬葉集等及び文選遊仙窟等の古訓等證あるものによりて之を論定し、又合成語の類はその起源に遡りて之を論定し、まゝ古きものに證を見ざるものは慣用に從へる由にいへり。その説明の順序次の如し。

い 中下のい

ゐ 中下のゐ ひ(以上卷二)

を 中下のを

お 中下のお

中下のほ  (以上卷三)

え 中下のえ

ゑ 中下のゑ

中下のへ

中下のわ

中下のは

中下のう  (以上卷四)

中下のふ

以上はすべて行阿假名遣にいへるものを目安として各語につきて正しき假名を示し、さて次に

「以上依舊假名遣斟酌以下今加之」といひて次の如く

むとうとまぎるゝ詞

うとむとかよふ類

うとぬとかよふ類

むとぬとかよふ類

むともとかよふ類

むとぶとかよふ類

ぶともとかよふ類

べとめとかよふ類

めと聞ゆるべもじ

むにまがふぶ

みにまがふび

をと聞ゆるふ

みをうといふ類少々

みをむといふ類少々

假名にたがひていふ類

中下に濁るち

中下に濁るし

中下に濁るつ

中下に濁るす

何ろふといふ言の類 (以上卷五)

といふ項を立てゝ、その紛れ易きものを示し、所々、發音の方法等をも示し、末に國語の音韵につきての特色、その他文字音韵に關する種々の説を載せたり。

契沖はかく假名遣に一定の條理あることを發見し、之をその著に於いて論證せるものなるが、この發表は當時の歌人和學者の間に異常なる反響を起さしむべき筈のものなり。從來定家の名を以て壓倒的威力を以て文壇を支配し來りし定家假名遣はこの書によりて其誤謬又は根據なき點を指摘せられたり。而してその主張する所は確たる根據を有するものなれば定家假名遣にとりては根柢を覆されむとする虞ある脅威なりしなり。然れども、當時さばかり勢力ありしその假名遣が直ちに亡滅すべきにもあらずして之が反動を起すべきは自然の勢なりとす。

抑も定家流の假名遣は室町時代を經、江戸時代に入りても盛んに行はれしが、この時代には先づ林永喜(道春の兄)の東福門院に献れりといふ假名遣書一卷(寫本)ありて、これには寛永四年の奧書ありといふ。未だこの書を見ねど、行阿の假名文字遣を見やすく記したるに止まるものゝ如し。次には伊勢の神官荒木田{盛澂}{モリスミ}の著せる新増假名遣寫本二卷あり。この書は假名文字遣に基づきて之を布衍増補し、詞をばその頭字によりて伊呂波分にし類聚したるものなるが、更に之を増訂して類字假名遣と題して出版せり。この書は七卷に分ち寛文六年九月に出版せられたり。而してこの書には林鵝峯(向陽子)のものせる新増假名遣の跋ありて「庚子仲秋」と署せるを見れば、本書の成れるは萬治三年にありしものたるを知るべし。この書にも日本紀萬葉集等を徴とせるものあれど、その根本の主議は定家假名遣に從ひ「を」「お」の別など全くそれに盲從せるものなり。又延寶四年正月に出版せられし一歩といふ二卷の書(著者未詳)ありて、その下卷に假名遣を説けるあり、又元祿四年八月に出版せられし初心假名遣といふ書一卷(これも著者未詳)あり。これらの中には定家假名遣の誤を訂せりと稱するものもあれど、要するに、この主義の範裡を出づるものにあらざるなり。

契沖の同時に橘成員といふ人あり。江戸芝の人にして山崎吉里といふ人なりといふ。定家假名遣に基づきて増訂を加へ、假名字例といふ四卷の書を著し延寶六年に江戸にて出版せしが、和字正濫鈔の出づるや、更にそれを増訂して倭字古今通例全書八卷をあらはして契沖の説に反抗せり。この書は元祿八年七月の自序ありて同九年八月に出版せられたるものなれば、正濫鈔に後るゝこと約一年なりとす。この書は紛らはしき假名のある詞を頭字にていろは分にし、そのいろはの字毎に節用集の如く、乾坤、氣形、生植、服器、雜事の五部類に分ち各の詞毎に漢字を添へ、解釋を加へたるものなり。その總論に於いて、次の如くいへるあり。

近年かな遣の書あまた出たり。或雜淆し、或古書を證據にたて愚昧のたしかにおもふやうにしなせり。徴とするにたれとおもふらめ。一向かなを不知ゆへなり。假名のゆへんをつまびらかにせば、古今の是非得失たなごゝろを見るがごとくならん。

と。これにてはたゞ當時多く出でたる假名遣の書を汎く難じたる如くに見えて、必ずしも契沖に當れりといふべからざるが如し。然れども、

畢竟かなづかひの法往昔いまだ不足。日本紀より三代實録までの國史、万葉集、新撰万葉、古語拾遺、舊事記、古事記、延喜式、和名抄、古今和歌集、其外家々の集のかな、よみこゑとりまじへ、又はをおえゑ亂てあり。今かやうの書を假名の證據とさだめがたし。しかれども其中に用不用あり、とるべきものをとり、取がたきものはとらざる也。右の書を證據とする時は假名遣の法はなき也。いかやうにかいてもくるしからぬになるべし。

といへるはまさしく契沖の根本主義に對して反抗せるものにして當時契沖以外にこの主義を奉じたるものあるべからざるなり。かくて彼は自己の主張する假名遣の根本主義を揚言して曰はく

假名の法は平上去入の四聲にしたがひてさだまりぬ。……なんぞ舊記になづまんや。只理の正道にしたがひて可也。

といへり。この成員は定家假名遣の擁護者なりしが爲に、この言論は近頃まで親行、行阿の假名遣の主義が四聲によれるものなりと誤認せしむるに至りし根源にして、所謂贔屓の引倒ともいふべく、定家假名遣をして寃罪を蒙らしむる基をなせるものとして親行、行阿の身にとりては迷惑千萬の事といふべし。かの假名遣は既にいへる如く、なほ從來の慣例を基としたるものにして、たゞ契沖及びその祖述者のは紀記万葉等最古の文献に溯り、親行行阿のはその時代より少しく前なる例によれるの差あるに止まれるなり。然るに成員はこゝに「四聲にしたがひて定まりぬ」といひ、「理の正道にしたがひて可也」といへり。然らば、かれは四聲によりて如何に區別するが正しき道理によれるものなるかを示したりや。その著一部八卷を精査するに、一もこの正理正道のこゝに在ることを示したるを見ざるなり。而して彼は祕傳を重んじたることはその序説中「端い」の末に「委口傳」といひ、「中ゐ」「奧ひ」の末に各「口傳」といひ「端へ」の末に「何も口傳」といひ、「中江」の文中に「但口傳有」といひ、「奧ゑ」の文中に「ゑえの差別傳受の上詳也」などいひ、なほ他の條にも盛んに「口傳」又「傳」といふことをいへり。その口傳といふものゝ如何なる事のありしか、外間より知るを得ざるものといはゞいへ、成員のいふ所の四聲によりて「い、ひ、ゐ」「お、ほ、を」を分ち用ゐるが如き道理の存すべきいはれなきことは仙源抄の跋に既に喝破せられたる所にして今更識者をまたずしても知らるゝことなり。

成員のこの書は名をこそさゝざれ、契沖をさして、「一向かなを不知ゆへなり」とまで漫罵せるものなるはいふをまたず。こゝに於いて契沖は倭字正濫通妨抄をあらはしてその説を反駁せり。この書は五卷ありて、元祿十年八月に成稿せる由末に記せり。本書は京都北野神社に自筆の草稿一部存するのみなりしが、近時契沖全集によりてはじめて世に弘まれり。この書は徹頭徹尾通例全書を的として、その誤謬僻説を駁撃せしものにして、その卷一を總論とし、卷二以下は通例全書の誤謬ある語をば順次に摘出して批評せり。而してその批評の態度を見るに、序跋の言句に至るまでも、一言一句をも捕へて反駁批評し、殆ど餘す所なしといふべく、言辞激烈にして、その人を罵りて背面先生といひ、その著を嘲りて千歳笑又は貳過集といひ、或は所々狂歌をつくりて罵倒したるなど、殆ど契沖の性格を疑はしむるに至るべきものあり。當時契沖五十八歳なるに少壯血氣の徒の言動にも似たりと評すべき點あり。今その何故に、かく激怒せしかの所以を知らず。然れども、その學術上の論證を下せる所は確乎として決して感情に走りて是非をいひくろめむとするが如き弊なきなり。しかも、かく大人氣なき言を弄する間にも學術的には進境あるを示し、正濫鈔にいはざりし事項を補ひ、足らざりし證を加へ、考説の上にも訂正を施したる所あり。さてその通妨抄はさすがに之を世に公にするを憚りしものと見え、後この通妨抄を更に改め補ひて、和字正濫要略一卷を著せり。この書は元祿十一年五月に成れるものにして久しく寫本としてのみ傳へられしが、明治三十四年語學叢書の中に收められてはじめて版本となれるものなり。この書はその本文のはじめに「和字正濫通妨抄補改」と記せる如く、通妨抄を改めて綴れること明かなるが、恐らくは通妨抄の過激なりしを改めてかくせしものなるべきか。その體裁は先づ序説ありて次に正濫鈔の順序に基づきて、自著正濫鈔の誤を正し、同時に通例全書の非を指摘せり。而して通妨抄に於いて自ら發見せし新説は大抵この書に收めたり。

以上三書によりて契沖の假名遣に對する主義とその研究方法と同時にその研究の結果も見るを得べきものなるが、契沖は如何にしてかゝる主張をなすに至りしか。契沖もはじめは定家假名遣に從ひしことはその自選歌集延寶集の和歌等にその假名遣を遵奉したりしにても知らるべし。然るにその萬葉集の研究よりして汎く古典を見るにつれて、終に彼をして、定家假名遣の根據薄弱なることをさとらしめ、歸納的に古代の假名遣に一定の規律あるを認めしむるに至れるものと見ゆるなり。契沖の前驅ともいふべき成俊は定家假名遣の根據なきを指摘したるが、契沖に至りてそれを事實上より證明せりといふべきものなり。今契沖の假名遣研究の發展の跡を見るに、代匠記の初稿に於いて、既に假名遣を論ずる所あり。されど、その論極めて粗なり。その清撰本に至りては總説中に「集中假名の事」といふ一目を立てゝ之を詳論せり。この時既に正濫鈔の基礎はなれりといふべく、正濫鈔の總説にいへる事の大體はこの中に見えたるなり。さて正濫鈔及び正濫要略にあげたる假名遣の總數千九百八十六語に上れるが、それらの大部は證たる文献を示したれど、文献の明記なきもの六百五十六語あり。その文献の明記なきものを如何にして定めしかと見るに、所謂語のはたらきによりて推定したるあり、又音通、音便によりて推定したるあり、又音の縮約、省略によると推定したるものあり。又語源を考へて推定したるものあり。又たゞ從來の例によるといへるものあり。これらは多く定家假名遣によれり。そのうち語のはたらき、音通、音便、音の縮約、省略によりて推定したるものは大體に於いて學術的の推定によるといふをうべきものなるが、その語源を考ふることに於いては多少學術的のものもあれど、また常識的のものも少からず。この常識的語源説によるものとたゞ從來の例によるとせるものとは學術的に價値ありと認められざるものにして後世に至るまで、その説の弱點と目せらるべきものなるが、その他の點に於いても、もとより缺點なきにあらず。その二三をいはゞ、その説く所の聲音の理論は主として彼が悉曇を學びしより來る所にして尋常歌學者の及ばざる所なりといへども、しかも又その眞言宗の僧たりしが爲に、その言説中往々密教に附會せる如き點の存するを著しき點とす。而して當時世に流布せる五十音圖が「オ、ヲ」の所屬をあやまり、「ヲ」をア行に「オ」をワ行に屬せしめしを、さすがの契沖もその誤に心づかず、それが爲に假名遣の上に一貫の理論を立つること能はざりしが如き最も大なる缺陷にしてこれが爲に正濫鈔に

  ア  ヲ
   \/ 
   /\ 
  ワ  オ

かくの如くすみちがへにかよへり。

などいふが如き僻説を立つるに至れるなどの事あり。或は又仙源抄の跋を明魏の言と速了し、なほその言をも誤解して的はづれの攻撃をなせる如き缺陷も存す。然れどもその説の最大部分はもとより根據確實なるものなれば、これより後契沖のこの研究は永く後世の摸楷となれり。

契沖の功績は假名遣の上に確たる根據を與へし點に存し、永く後世の仰ぐ所となれるが、しかも、この後なほ定家假名遣を奉ずるもの少からざりき。たとへば、元祿十二年に出版せし貝原益軒の著なる和字解一卷、寶永五年に出版せし假名遣拾芥抄一卷(佐々井祐清著)享保五年に出版せし假名遣祕解二卷(水溪居秀「善藏」著)寛保元年に出版せし假名遣問答抄五卷(服部吟照著)寶暦四年五月に出版せし万葉假名遣一卷(青木鷺水著。この万葉とは万のことばの義にして萬葉集には關係なし。假名文字遣の應永本によりて増補せる由明かにいへり。)寶暦四年八月に出版せし僧文雄の和字大觀抄二卷など、みなその説く所の假名遣は定家假名遣を標準とせるものなり。

かの如く定家假名遣の繼承者續々世に出でたれど、契沖の主義は漸次に世の信任を受くるに至れり。然れどもなほ契沖の主義に反對する學者なきにあらず。その著しきものをいはむに先づ上田秋成の靈語通をあぐべし。靈語通はその序によれば、神名、國號、名物、咏歌、用語、假字の六編より成れるものゝ由なれど、出版せられたるはその第五假字篇の一卷のみにして、他の五篇は如何になりしか詳かならず。この假字篇は寛政七年十一月越魚臣の序ありて寛政九年二月に出版せられしものにして、音韻文字につきての或人の御説といふものを説きて、之を敷衍したるものなるが、便利主義或は放任主義ともいふべきものを主張し、主として契沖の説に反抗せるものと見るべく、その説極端に走りて

假名遣は古則今法何れによるとも人工の私物なるには何の是非をかいふべき

といひ、終に上代の世に假名の用ゐ方に一定の條理などあるべきにあらずと放言するに至れり。されど、その放言にはもとより根據なく、事實上の反證存するのみならず、之を私物なりなど論するに至りては文字の社會性を知らざる漫罵にすぎざるが故にこの説世に行はるゝに至らざりしなり。然れども、この説に對しては以後に寺田長興の太津可豆衞三卷(弘化四年九月成、嘉永二年五月刊)岡本保孝の靈語通砭鍼一卷(明治六年十二月成寫本)等駁撃を加へたるものありて、世に之を信ずるものなくなりぬ。

以上の如く反對者も出でたりしかど、契沖の主義は漸次に世にひろまるに至れり。さてその契沖の假名遣研究は大體確實なる學術的の根據に立てりといへどもそのあげたる語の約三分一は例證を缺けるものなり。而してかくの如きは古代の文献に徴證を求めむとする主義に於いては著しき缺陷といふべきものなり。契沖の後約七十年にして揖取魚彦の古言梯出づ。この書は一卷にして明和元年八月に成り同二年五月に大阪河内屋源七郎の出版せしものなり。その書はじめに總説あり、次いで各語を頭字によりて五十音順に類聚しあげたるものなるが、契沖の主義を奉じ、契沖の時未だ知られざりし書たとへば、新撰字鏡の如きものなどにひろく證を求めてその誤れるを正し、不足を補ひたるものにして、あぐる所の語すべて千八百八十三語悉くその理由を示せり。この書出でゝより後、假名遣を論ずるもの多くは之により又、之が補訂を企つるものあり。村田春海は假字大意抄一卷(享和元年八月成、文化七年刊行)をあらはして假名遣の事を論じ、假字拾要一卷(寫本)をあらはして古言梯に誤り、又は洩らしたる假名遣を集めてその例證を示したり。古言梯には又再考せる本ありて、文政三年に出版せり。この再考本には増補標注と注せるが、その標注は村田春海、清水濱臣の説を加へたるものなり。その標注にあげたる春海の説は假字拾要以前のものにして自ら別のものなりとす。又文化四年に出版せし市岡猛彦の著雅言假字格二卷(もと増補古言梯といひしものと見ゆ。文化十三年に訂正せり。)文化十一年に出版せし同拾遺二卷あり。これらは古言梯を増補訂正せしものにして假字格に於いて二百六十言を補ひたるが、これには一切例證を省けるが、拾遺に載する所凡そ七百七十七言はすべて出典を示せり。されば市岡の補ひしものすべて千餘言なりとす。又弘化三年に山田常典の古言梯に増補して同四年に出版せし増補古言梯標注といふものあり。これはかの春海濱臣の標注せし本に、更に増補せしものにして、常典の増補せしもの凡て百五十言なりといへり。はじめ古言梯にありても當時の五十音圖の誤を襲ひて「オ」をワ行に「ヲ」をア行に加へ、その順序に從ひしが、雅言假字格及び山田の標注古言梯にはこれを正し本文に於いてもその位置を正しきにおきかへたり。こは本居宣長の研究、をお所屬辨によりて明確にせられしものなるが、こゝにそれに基づきてかく改めしなり。こゝに於いて假名遣の書ははじめて大成せりといふべく、假名遣の標準確立して明治時代に至れり。

以上の外なほ契沖の主義を奉ぜる書として正誤假名遣一卷(賀茂季鷹編、天明八年成、刊本。但しこの書にはかへりて誤れる點あり。)古今假字つかひ一卷(橋本稻彦編、文化十年刊)等あれど、要するに契沖の主義を奉ずるものとしては古言梯、雅言假字格をその主なるものとすべきなり。かゝる間に黒澤翁滿が假名遣暗記法といふことをいひ出したるは學術上の事ならねどこゝに附記する價値あるべし。その法は先づその假名の誤り易き點を明かにし、而してその最も少き部分を暗記して他を推すべしといふにあり。

以上の外に弘化の頃に高橋殘夢といふ人ありて、その主張する言靈説を基として古假名にもあらず、定家の假名遣にもあらぬ一種の假名遣を唱へて國字定源二卷(弘化元年八月成、寫本)を著せり。然れど世に反響なくして終れり。

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舩木直人(funaoto@hat.hi-ho.ne.jp)