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2005-02-17熱がでて辛うございました。

蛇口のついた河馬をみたら

「欠」と「缺」―国語改革のシッポ 08:58 「欠」と「缺」―国語改革のシッポ - キャベツ頭 - Akimboと国語 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「欠」と「缺」―国語改革のシッポ - キャベツ頭 - Akimboと国語 「欠」と「缺」―国語改革のシッポ - キャベツ頭 - Akimboと国語 のブックマークコメント

コールスローに国語改革関係の文章を書きました。

d:id:Akimbo:20050204

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蛇口のついた河馬をみたらおもいだしてください。

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2004-12-19PCから。

バリのエビせんべい説明が

人名用漢字 23:04 人名用漢字 - キャベツ頭 - Akimboと国語 を含むブックマーク はてなブックマーク - 人名用漢字 - キャベツ頭 - Akimboと国語 人名用漢字 - キャベツ頭 - Akimboと国語 のブックマークコメント

コールスロー人名用漢字増加に関する文章を書きました。

d:id:Akimbo:20041214

読みかえしてみるとなかなか暴論ですね。

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されやかなえび。

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2004-12-18おひさしぶりです。

タージ・マハール。

韓国人から見た北朝鮮10:13 『韓国人から見た北朝鮮』 - キャベツ頭 - Akimboと国語 を含むブックマーク はてなブックマーク - 『韓国人から見た北朝鮮』 - キャベツ頭 - Akimboと国語 『韓国人から見た北朝鮮』 - キャベツ頭 - Akimboと国語 のブックマークコメント

コールスローに国語改革関連の文章を書きました。

d:id:Akimbo:20041217

書籍データ

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タージ・マハール

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2004-09-30相対性について。

天動説と地動説 05:22 天動説と地動説 - キャベツ頭 - Akimboと国語 を含むブックマーク はてなブックマーク - 天動説と地動説 - キャベツ頭 - Akimboと国語 天動説と地動説 - キャベツ頭 - Akimboと国語 のブックマークコメント

相対論の思想
http://vishnu.phys.h.kyoto-u.ac.jp/~ohashi/shisou.htm
[メモ]天動説は閒違つてゐるといふ誤解
http://seijiseikana.g.hatena.ne.jp/iwaman/20040922

「天動説の天体の動きは地動説の天体の動きに数学的な座標変換をほどこせばえられる」というのが「天動説は誤りではない」という主張の根拠のようだが、「変換の結果等価であれば正しい」という前提自体が誤っている。

かなづかいを例にすると、

正字正かなに『正』をつかうのは誤りだ。なぜなら、正字正かなに適当な変換をほどこすと略字新かなに変換できる。若干の特異性はでてくるが。かなづかいなど相対的なものである。

という主張は正しいだろうか。

そもそも、「相対論の思想」などと、科学理論を「思想」だととらえることが危ういあやまりである*1

その危うさは、ナチ人種理論や、「とにかく生きのこった方が勝ち」という「ダーウィニズムの思想」と同列のものだ。

今日は時間がないのでこの辺で。時間がとれればもうすこしくわしく書きます。

余談を。大橋さんのサイトのURLをみると、サーバー名(かな?)が"vishnu"になっています。ヒンズー教の神様の名だ。

ブッダはヴィシュヌの化身のひとつである。ひとつのものがいろいろなかたちから見える、これは「レインボーマンの思想」ですな。

シヴァ(Siva)」とか、「ガネーシャ(Ganesha)」なんてサーバもあるかも。

*1:もちろん、科学的事実が思想に影響をあたえたり、パラダイムの変更をせまることはあるが、それはあくまで結果の話である。

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2004-09-16国語改革について

昔書いたメール 06:01 昔書いたメール - キャベツ頭 - Akimboと国語 を含むブックマーク はてなブックマーク - 昔書いたメール - キャベツ頭 - Akimboと国語 昔書いたメール - キャベツ頭 - Akimboと国語 のブックマークコメント

 国語に関するメモを書くといいつつ書けないので、かわりに、以前日垣隆さんのサイト「ガッキィファイター」のメールマガジン編集部に出した、国語改革についてのわたしの考え、というより、単に知っていることを羅列したメールを掲載します。

 日垣隆さんのサイトを確認すると、まだ掲載されているようですが、読みかえすと、「言葉言葉言葉」の野嵜さんをなぜか松嵜さん*1などと書いていてはずかしいので、そこらへんをふくめ編集しています。

 事実誤認等あればご指摘よろしくお願いいたします。

新聞の漢字「交ぜ書き」について 新聞の漢字「交ぜ書き」について - キャベツ頭 - Akimboと国語 を含むブックマーク はてなブックマーク - 新聞の漢字「交ぜ書き」について - キャベツ頭 - Akimboと国語 新聞の漢字「交ぜ書き」について - キャベツ頭 - Akimboと国語 のブックマークコメント

 はじめまして。Akimboと申します。そう、父と母の間に生まれ、本当は母の股の間から生まれてしまった36歳システムエンジニアです。いえ、生まれてしまったのは36歳の時ではなく、0歳(数え年では1 歳)の時でしたが。

 編集後記を見て、日本で五十年前に起こった「文化大革命」の事を知ってもらいたいと思い、返信ボタンを押した次第です。

 漢語をたとえば「かんご」と仮名書きにしても、「看護」なのか「閑語」なのかわけが分らなくなるだけで、わかりやすさは向上しません。ましてや、「まん延」、「隠ぺい」などと「交ぜ書き」(ひとつの単語の中で漢字と仮名を混ぜて使用すること。「マセガキ」にあらず)にしてしまったら、「蔓延」、「隠蔽」等、漢字の字面で覚えている人にとっては、逆に理解の妨げになるでしょう。

 高島俊男さんは、名著「本が好き、悪口言うのはもっと好き」の中で、「大学生ら致される」を「大学生たちが何をイタされたのですか?」と、からかっておいででした。

 新聞がなぜこういう馬鹿な表記をするのか。それは、戦後どさくさの時代に行われた国語改革のせいです。

 当時、敗戦のショックで頭の配線が狂った進歩的文化人が沢山いました。今もいるか。まあ、そういう人たちは、本当に多方面で活躍して色々な「改革」をやりました。詳しくはその手の本を参照していただくとして、短く言うと、その人達は、日本が戦争に負けたのは、日本が「西欧的でない」事が原因だと考えたのです。

 よくいるでしょ、「ヨーロッパではこうだ」とか、「アメリカではこうだ」という事を言っただけで、日本のシステムがダメであることを論証した気になっている人。私もですけど。

 国語関連の「ああぁ~、日本は西欧風でないからダメだったんだぁ」の人たちは、おおざっぱに三つのグループに別れて日本国民の言語を「改革」なさろうといたしました。

(1) 外国語を日本の国語にする

 といっても、同じ戦勝国のなかでも、見習うべきはお隣の中国語や韓国語だ、と思った人は少なかったようで、英語やフランス語を日本の国語にしようとしました。志賀直哉がフランス語を国語にしようと主張したのは有名です。

(2) 漢字を廃止し、日本語をすべてカナで表記する

 お隣の韓国がそうなっています*2ね。でも、こうやってかんじをつかわずにひょうきしただけでずいぶんまのびしていみがつながりづらく、よみにくいのに、こまっていないんでしょうかね。むかしは漢字ハングル混じり文を見かけたこともあったので、多分そちらの方が意味の伝達力は大きいのではないのかな、と人ごとながら心配になります。

 カナモジカイという、カナ文字推進団体がありました。

(3) 漢字を廃止し、ついでにカナも廃止し、日本語を全てローマ字で表記する

 RO-MAJI DESUYO. お前は水森亜土か、って感じです。といっても若い人には分らないか。身近なおじさんに聞いてみてください。水森亜土。

 この人達の(水森亜土のじゃなくて、ローマ字論者のね)論拠は、「外国人の日本語習得が容易になる」、「日本語を書くのに、西欧のタイプライターがそのまま使える」といったものでした。外国人や外国のタイプライターメーカーの事を思いやり、自国語をないがしろにするのは、う~ん、「もののあはれ」を知る、日本人ならではの思いやりというべきでしょうか。

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 これは、冗談でも誇張でもなく、本当に、みなさん、そういう主張を大まじめになさっていたのです。その証拠に、それまで千年以上もかけて大事に育んできた我々の財産、日本語に、三つ、大きな改革、というか、変更の無理強いが行われました。

(1) かなづかいを発音に近づける

 要するに「新かなづかい」の採用です。「思ふ」→「思う」のたぐい。当時の人には気持ち悪かったでしょうね。新かな育ちの僕たちでも、「ぼくたちわきょーおわすれませm」と、さらに発音に近づけて (最後のmはミスタイプじゃなくて、「ん」がm音に近くなることを表したもの)、つまり新かなの思想では「より正しく」書かれると、困ります。

(2) 漢字の字体を簡略化する

 手書きの略字を正式な国語印刷字体として取り入れたようです。「國」→「国」他多数。「弁」なんて、六文字の別の字だったものを、ひとつの字にしてしまったそうで、だから、心臓弁膜症の「弁」と、弁護士(本来なら、辯護士かな)の「弁」が同じなんですね。

 私は昔、お隣中国の簡略字体を見て、「漢字の風格が台無しだよなあ、なんで日本のように昔の美しい字体を保存しないんだ、文化なのに」と思っていました。大間違いでした。タリバーンの仏像破壊よりひどい決定的な破壊が、なんだか分らない西欧崇拝(+人民よ立ち上がれ)原理主義派によって、我らが国語にも行われていたのです。これは多分、次の項に書くような理由により、「漢字はいずれ使われなくなるもの」との考えられ、適当に、ではなくて、「テキトーに」決められたのだと思います。

(3) 使用する漢字の数を制限する

 そしてこれが「ら致」、「まん延」の元、漢字制限です。

 日本人に読み書きがゆきわたるよう、漢字は廃止するものと決めたのですが、急には無理です。というか、もともとその時代時代で最高の叡智のもちぬし達が千年以上に渡って受け継ぎ練り上げてきた国語表記を、たかが敗戦国の「オエライ人達」が、たぶんにイデオロギー主導で、わずか一年(当用漢字の公布は1946年)しかかけずにいじくった末、簡単でかつ整合性があるシステムに練り上げるなど、「最初から無理」なことなのですが、当時はこれを、「急にはみんなのためになる改革は無理」と言いかえ、最初の漢字制限が強行されました。とりあえず漢字を全廃するまでの移行措置として出されたアイデアが、「さし『当』って『用』いてよい漢字」、つまり、当用漢字を決めることでした。

 「日本の文化を守る」立場にあるはずの新聞は、これに反対だったのでしょうか。実は大喜びでした。活字の数が減って大助かり、諸手をあげて賛成したのです。

 そして、政府のいいなり(+自分たちの怠惰のため)に当用漢字表にない漢字は使用しないものと決め、それを忠実に実行してしまいました。

 しかし、当用漢字は、一夜漬けででっち上げられた、実にずさんなもので、よく使う漢字が入っていなかったり、全く使用しない漢字が入っていたり(朕が入ってます)し、もともと変であったのに、たとえば、「拉致」の「拉」、「蔓延」の「蔓」、「抽籤」の「籤」、といった、新聞でもよく使いたい単語の要素が入っていなくて、関係者を弱らせました。

 漢字制限の思想から言えば、これらの単語は、難読漢字を使うほど難しいものであるはずなので、当然、「つれさられる」、「はびこる」等のわかりやすい和語への書き換えが行われるべきでしたが、新聞社はこの思想を無視し、「ら致」、「まん延」、といった交ぜ書きを使用し、漢字制限を単なる活字制限にすり替え、もともと無意味だったものを、ナンセンスギャグにまでアウフヘーベンしてしまいました。

 そして、このために新聞の見出しが読みやすくなったとか、意味がとりやすくなったなどということは、100%ありえません。「きょ大」と「巨大」だと、漢字が少ない分、「きょ大」の方が読みやすいと言えるでしょうか。

 おまけに、「抽籤」に至っては、「くじびき」と言いかえるのならともかく、「同じ読み方になればいいだろう」とばかりに、「抽選」と無理矢理に当用漢字内の同音字をあて、日本語を無茶苦茶にしてしまいました。この杜撰さは目に余るものがあります。たとえば、戦前、「身体障碍者」(からだにさしさわりやさまたげのある人)と呼ばれた人たちは、戦後、「身体障害者」(からだにさしさわりや害(!)のある人)と呼ばれるようになりました。多分、この単語が昔からあると思っている戦後民主主義育ちの方(ぼくもですが)は、「昔の人は障害者に対する思いやりに欠けていた」と思うでしょう。逆ですって。

 さて、「当面用いてそのうちなくなるはず」だった漢字はどうなったでしょうか。当用漢字は1850字、常用漢字は当然それよりも少なくなって、1000字くらいになると期待しても変ではないでしょう。しかし、ご存じの通り、常用漢字は1945字。増えとるやんけ。制限はどうしたんや。

 そしてこれは、まだコンピュータがパーソナルな情報機器として発達していない、1981年の話です。今、標準的に使用する漢字を決めるとすれば、黙っていてもJIS第二水準までの漢字は含み、それに加えて、 16ビットのコードギリギリまで漢字を詰めるアイデアが採用されることでしょう。当時のカナ文字論者、ローマ字論者で、文章の発表にカナのみ、ローマ字のみを用いている人はいるのでしょうか。断言は出来ませんが、いないんじゃないかなあ。見たことないもん。読みたくもないし。

 要するに、漢字制限は形骸化したということです。それは大変喜ばしいことですが、後に残ったのは、つはものどもの夢の跡、正しくもなく、本当に表音的でもないふざけたかなづかいと、クソもミソもいっしょになった変な字体の漢字群です。

 弊害ははかりしれません。僕たちは文学を持たない国民となりました。「小説家といえば?」という問には、まず夏目漱石が上がると思いますが、僕たちは「新かな・新漢字体変換」といういびつな翻訳を通してしかそれを味わう事ができません。模写や写真では絵画を真に鑑賞したことにはならないのと同じく、翻訳では文学は分りません。まさに、「責任者、出てこい!!」の状態なのです。

 え~と、長くなりすぎてしまいました。ここまでいやにならずに、読んでくれたかなあ。すみません。

*1:山田君の前に笑点で座布団運びをしていた人ですね。

*2:漢語も表音文字であるハングルで表記しているということ。

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